2017年12月3日日曜日、穏やかで温かい冬晴れの日の事でした
2017年9月に10数年ぶりの新車、セロー250を購入したことはこのブログでも書きましたが
その「新車」で、人生で最も大きな怪我をしてしまいました。
怪我に至るまでを自分なりに振り返ってみると「チェーンカバー」が今回の原因でした。
20代後半から30代前半で結婚するまではエンデューロレースなど年に1~2回程度出ていました
バイクを整備するとき、特にチェーンの給油時などは上側にあるチェーンカバーが邪魔なので、オフロードのレース経験者や整備を自分でする人はほとんどの人が外してしまいます。
でも今回はカバーを外すか外すまいか・・・・たかがチェーンカバーなんですがずっと迷っていました、購入から3ヵ月経っても外さずに乗っていました。
12月3日、少しずつ作っていた自宅キッチン用のごみ箱ラック完成後、時間があったもんで前の週に「おやま」を走って汚れていたバイクを洗いました。
その時もカバーを外すかどうするか考えながら洗車しました
チェーンの錆が気になったのでいつものようににエンジン始動し、1速でチェーンを回転させながらチェーン下側へオイルを噴霧しました。
(チェーンカバーを外した状態であればチェーンの上側にオイルを噴霧、つまりチェーンがエンジンの方へ進んでゆく方向なのでエンジン始動状態でも物理的に手が巻き込まれる余地は無いのですが・・・)
そして余分なオイルを拭き取ろうとウエスでチェーン内側を押さえていたその一瞬
左腕が引っ張られる感覚とともに「バチン」という音が・・・
慌てて左手を挙げると中指と薬指の先端、ちょうど爪の上半分が千切れて無くなっている
その瞬間何が起きたのかよく理解できず「これは夢で、現実ではない」と言い聞かせる自分がいました。
見ると二本の指先は、ウインナーをかじった時のような状態でした。
その部分は脂肪か筋肉かよくわかりませんが直後は白い色をしており、少しおいてから血があふれ出してきました。
この時はなぜか痛みを感じていませんでした
すぐにエンジンを止め、キーを抜き、指先を口に入れてすぐに家に飛び込み、娘に「救急車呼んでー!」と大きな声で叫びそのまま洗面所へ
流水で欠損部分を洗い流して洗濯済のタオルで包み、財布・鍵・携帯をバッグに詰めて娘に状況を説明し119番してもらいました。
実はこの時、たまたま高1の娘が自宅に居たんです。
本当なら15時から学校へ行くと言っていたのが、たまたま遅くなり居たんです、そう事故発生はまさに15時頃でした。
今でもあの時に娘がいなかったらどうなっていたんだろうか、と考えると恐ろしくなる一方です、娘には感謝するばかりです。
自宅から一本外の通りで救急車を待っている間にパート先の妻へ娘が連絡。乗車して間もなく妻が駆けつけてきてくれました。
その時のことを今でも妻は「どおやって、あんなに早く家まで戻ったのかいまだにわからない」と言うくらいの速さで駆けつけてくれたのです。
そして救急車内では隊員たちが搬送先を探しいくつもの病院へ連絡し、松戸にある「新東京病院へ」と搬送されることになり、帰宅の事もあるので妻はあとから車で来ることにました。
車中では右隣に座った娘が私の右手をぎゅっと握って寄り添ってくれていました。
このことは今も忘れられないし思い出すと涙がこみ上げてきます。
いままさにキーボードをたたきながらも視界が潤んできました。
不思議とこの時はほとんど痛みは感じていませんでしたが、己の馬鹿さ加減と、なぜエンジンかけてあんな危険なことをしたのか、家族に迷惑をかけることになるんだろうなとか、翌週の高校の友達との飲み会は行けないなぁとか考えるとともに、まだどこかでこれは現実ではないと言い聞かせている自分がいたのをよく覚えています。
病院に到着すると処置台に寝かされ、看護師さんたちによる点滴や破傷風注射など様々な処置ののちドクターにより欠損部分に蓋をするような形で人工皮膚を縫合されました。
処置室で後から来た妻と娘と一緒にレントゲン写真を見ながらドクターから状態の説明を受け、翌日は新東京クリニックを受診するよう言われこの日の処置は終了。
残念ながら人差し指の骨の先端部分は5㎜強くらい欠けていました。
ここの病院「切断の縫合・再建」では結構有名な所らしく、この日も埼玉県草加市からも救急車が来ていましたし遠方からの搬送も多いらしいです。
気がかりだったバイクについては、弟に事情を連絡し自宅車庫内にメンテスタンドに乗ったまま不安定なバイクを下ろして格納してもらいました。
家族には私以外こういう事できる人間がいませんから、最初は友達に頼もうと思ったんですが、恥ずかしくて頼めませんでしたので「弟よ近くに居てくれてよかった、ほんと頼りになるありがとう」と心の中で繰り返しつぶやきました。
その後、心配そうな顔をした弟が病院へ来てくれてたのでコーヒーを飲みながら話をしようと売店の喫茶コーナーでコーヒーをゴチになったんですが、まぁ温いこと温いこと、変な話このせいで少し笑顔になれましたがね。
その後、心配そうな妻と娘に謝り自宅へと戻ると時刻は20時過ぎ、言葉数の少ない夕食を摂りましたが、元気を出して!ってことで、妻がケーキを買ってくれて泣きながらいただきました、もちろん妻の気持ちが嬉しくてですよ。
左手が使えないんで、この日は久しぶりに妻と一緒に風呂に入りました♡と言っても手の届かないところを洗ってもらうだけでしたがね~
床に入ると悔しくて悔しくて後悔しても後悔しきれず涙が次々と溢れてきました、これからの生活がどのようになって行くのか様々不安が渦巻き、キズの痛みもありよく眠れませんでした。
これは事故から二日後の状態です翌日12月4日月曜日から毎週夕方にクリニックへ通院する生活が始まりました
治療内容はガーゼを外して「泡状の石鹸で傷口を洗い水道水で洗浄」「ゲンタマイシン軟膏」を塗布して「ガーゼで包む」という内容
通院しない日はこれを自宅で毎日やるわけですが、水道で洗うのは大したことないのですが軟膏を塗るとやや痛むんです、でもまぁ耐えられないような痛みではありませんでした。
12月11日、18日、と通院した日以外は娘に手伝ってもらい自分で洗浄・薬塗布・ガーゼ交換をしました。
しかし18日の受診が最悪の日でした
患部に縫い付けた人工皮膚を取り除き、これまでとは異なる薬、それも高価な薬「フィブラストスプレー500」なる噴霧薬を患部に塗布されたんですがものすごい痛みがじわじわと襲ってきました。
診察室を出てエレベータを待つ間にもどんどん痛みが増してきて脂汗が出始めました、診察室に居た看護師に伝えたが、じきに落ち着くはずと言われ会計へ。書類を出して待っている間にも更に痛みは増し脂汗が出てきて、うめき声を漏らしそうになるのを必死にこらえながら「人工皮膚を除去したばかりだから看護師の言うようにそのうちおさまるだろう」と思って必死に我慢していました。
しかし汗が流れ落ち、うめき声を漏らしてしまうほど痛みは続きました。
必死の思いで会計を済ませましたがこの状態ではとても電車に乗れないと判断。クリニックの人気の少ないベンチでのたうち回って痛みを堪えました。それにしてもこのありさまを見てもクリニックの職員は誰も声をかけてはくれないことにいささか、落胆しました。
やっと収まってきたので隣の薬局で処方箋を出し、先ほどのスプレー(薬価11,108円!)と「プロスタンディン軟膏」その他を購入し岐路につきました。
その夜は患部洗浄後、先ほどの軟膏を塗布、少し痛みましたが先ほどの「フィブラストスプレー」よりはましでしたが。
でも改めて薬の説明文を見ると軟膏もスプレーも「やけどなどによる皮膚のただれや損傷部位の治療に用いる」「皮膚の潰瘍に用いる」「じょくそう(床ずれ)を治療する」とあるのです、確かに見た感じはそんな風だけど、やけどでも潰瘍でもないのに・・と若干の疑問は持ったのですが、ドクターのいう事なんでまぁ信じたわけです。
人工皮膚を除去した状態です、肉芽(にくげ)がかなり盛り上がってきています。(12月21日の画像)
翌日19日は水道水で洗浄し軟膏塗布のみしました、痛いけどなんとか我慢できる範囲でした。
問題はその翌日20日に噴霧したれいの「高価なスプレー」です、噴霧したのち、じわじわと痛みが増して来て先日のクリニックでの処置後と同じ痛みに襲われ、のたうち回る始末。家族も心配するほどの形相だったようです、それもそのはず、あまりの痛みで腹痛まで感じるほどの激痛で前回同様1時間半以上痛みは引きませんでした。
さすがにこれはおかしいと思い、翌日21日クリニックへ電話連絡し「部長先生」に見てもらうことになり仕事中に急遽受診、これまでの状況を説明したのですがほとんど表情も変えずに「薬が合っていなかったんですね」とのコメント。状況からすれば俺だってそう思うよ、さすがに。
で、せっかくの部長先生の診察なので、今後の治療方針や最終的にどのように感知してゆくかなど聴く中で「皮膚の移植手術」を行ってはいかがとの事、大まかな手術内容や経過など説明を受け改めて主治医から説明を受けることになりました。
翌日22日主治医による処置をし、手術を受ける意思を伝えました。25日に手術内容の説明と術前の検査を行う事となりました。
週明け25日いよいよ施術内容の詳細と入院日などの打ち合わせです。
今回の病名・病状は【左中指・環指指尖部欠損】
手術名【逆行性指動脈皮弁術+全層植皮術】
場合によっては術後に植皮の「壊死」の可能性あり、その場合追加の手術が必要などと言う説明を受け、正直言ってものすごい恐怖と動揺を感じました。
渡された同意書は28日の年内最終日までに提出という事で預かりました、予定では手術は年始早々の1月5日入院7日施術で約2週間の入院との事で会社にも迷惑掛けるな・・・など考えながらも事前検査を受けて重い気持ちで帰宅。
年末年始の慌ただしい時期に自分のことも会社のことも同時に考えながら床に就くが「壊死」の二文字が頭から離れません。スマホで手術名を入れて検索すると術後結果的に「壊死した」の情報ばかりが出てき更に恐怖が高まってしまいました、その中にたまたま似たような状況からまるで奇跡の様に回復した治療事例を発見、夜が更けるのも構わず殆どの治療例を見て半信半疑ながらも一筋の望みの光を感じそのクリニックへメールをし、その夜は就寝。
このサイトに救われました☟
http://www.wound-treatment.jp/next/case/hikari/tiryou-0.htm翌朝26日、そのクリニックのドクターから返信メール「あなたが見た治療例が全てです、判断するのはあなたです」との内容、クリニックの開院と同時ドクターへ電話、年内はあと二日しか営業しないから今日来た方がいいよとの事、こんな時は仕事は二の次!上司へ、これから「門前仲町へ行ってきます」と有無を言わせずに事務所を出ました。
門前仲町にある「なつい キズとやけどのクリニック」で夏井先生に患部の状態を見せ、治療例にまつわる話など聞き、この治療法のすばらしさを確認、そしてこれまで3週間ずっと続いていた先の見えない不安な気持ちが一蹴され大きな安堵感に包まれました。
夏井先生が考案した「湿潤療法」
これは凄いです!!これまでの常識を完全に否定する治療行為です、しかもこの方法ならば「痛くない」「普段通りの生活ができる(もちろん怪我による不自由さは別として)何より医療費を一気に減らせる!ほとんど薬を使わないので薬が売れなくなりますがねぇ~
洗浄は水道水での流水洗浄のみ。薬品は一切使用せず特殊な「被覆材」で患部を密閉して自己の持つ治癒力で欠損部を治療する療法です。
翌日27日も通院し、改めて毎日やるべき治療行為を確認、1月10日までの被覆材と、先生の著書「傷は絶対消毒消毒するな」を購入し2017年の最後の最後に安心して新年を迎えられる状況となりました。
新東京クリニックへは「大変恐縮ですが・・・手術は受けません」と伝えました。
もちろん慰留されましたが丁重に断りました。
手術のための各種検査代5310円が無駄になったなぁなどと思いましたが、手術が15~18万程度といわれていましたからまぁ安いもんか。
で、12月28日仕事納めの夜、弟を含めた親しい友人4人へ事情を説明し、もやもやした気持ちを完全に捨てて2017年を終えることができるようになりました。
12月28日の画像
ではここで夏井先生の考案した「湿潤療法」について簡単に、と言うか私の理解をもとに説明します。
これまでは、切り傷、擦り傷など出血を伴う怪我をすると「消毒する」「薬を塗る」「ガーゼで巻いて乾かす」と言うのが大半の人の認識だと思います、「消毒」ついては私は知りませんでしたが最近は「流水で洗浄」も一般的になっているようですね。
その「消毒」ですがほとんどの消毒剤や傷口に塗る軟膏は「雑菌を殺して化膿させないため」という目的で使用されていますが、これらはタンパク質をターゲットにして攻撃するそうです。雑菌類はタンパク質でできているそうです。ところが人間の細胞もタンパク質ですから、消毒薬や軟膏を塗れば塗るほど再生しようとする細胞を破壊することになりますので治癒が遅れるわけです。
昔は「かさぶた」ができればそろそろ治るなんて言われてましたが「かさぶた」は死んだ細胞のかたまりなんです、私も経験ありますがかさぶたの下が黄色っぽくドロドロに化膿していることが多かったのはこのせいだったんですね。
というわけで「消毒」はしません、流水できれいに保てばいいんです。
そして次は「乾燥させない」です。
この治療法では「プラスモイスト」や「ズイコウパット」「ハイドロコロイド被覆材」などを用いますが共通しているのは「乾燥させない」「余分な滲出液を吸収する」「適度な通気性」がポイントのようです。
滲出液を適当に吸収しないと「かぶれ」たり「とびひ」になる事があるらしいのですが前出の被覆材はこれを適度に吸収するのです。
私の場合は事故後3週間毎日毎日せっせと傷口を虐めていたので「プラスモイスト」の出番はありませんでした。後の祭りですがこの事を知っていればもっと早く「なついクリニック」を受診したんですが・・・・
私の場合は「ズイコウパット」を毎日交換する事を約3週間程度行いました。入浴後に古いパットを取り、水道で洗い流し、キッチンペーパーで拭き取る、ワセリンを塗布して患部を包むを毎晩続けました

1月3日の画像
御覧の様に傷口がジュクジュクしていますがこれが「滲出液」ですこれのおかげで細胞の再生が促進されるそうです。因みに赤い部分は「肉芽」です、まさに再生している細胞らしいです。
滲出液の量が減り始めてきた頃に「ハイドロコロイド」の被覆材を巻く治療へと進みました。
このようにジュクジュクがほとんど見られなくなっています。
事故から2か月目(2月3日)の様子
更に2週間後(2月17日)
事故から4か月後(4月3日)
そして5月27日、ほぼ6か月後の状態です。
まだ患部の部分は感覚が戻りません、触るとしびれる感じです、不意にぶつけたりするとかなり痛みますが自分で指先を揉んだりする分には痛みはありません。
また、物を「つかむ」ことが上手くできないので、左手で物をつかむときは親指と人差し指だけでの作業となりますから不安定です。最近はコツをつかんだのでできますが、ペットボトルのキャップを開けることができませんでした、意外にこの2本の指も力を発揮していたんですね~
てなことで5月20日、友達と一緒にダートと舗装路を約150kmほどツーリングしてきました。
なんとかクラッチレバーも握ることができて一安心ですが「おやまあそび」のように頻繁にクラッチレバーを握ることはしばらくは無理ですね。
でも新しいセローでキャンプツーリングくらいはできそうなのでこれからの季節が楽しみです。
以上、かなり長くなりましたが事故から半年経ちこの事を受け入れることができましたので、ここに事の顛末を披露し、間抜けなわたくしではございますが、この記事を見た方が万一同じような状況になったときに正しい処置を受けることで、希望を持った生活を送ることの助けになれば幸いと思います。
やっぱりバイクはサイコーだ!!